不快に気づくことは、とても大切です。
でも実際には、多くの人が気づけなくなります。
鈍感だからではありません。
弱いからでもありません。
むしろ、がんばってきた人ほど気づけなくなりやすいんです。
不快に気づくと困ることがある
例えば、
- 親が不安定だった
- 周囲の期待に応え続けてきた
- 空気を読むことが求められた
- 迷惑をかけないことが大事だった
こういう環境では、
「不快を感じる」
こと自体が 都合の悪い情報 になります。
本当は
「嫌だな」
と思った。
でも、
- 嫌だと思うと動けなくなる
- 嫌だと思うと断りたくなる
- 嫌だと思うと関係が壊れるかもしれない
だから脳は考えます。
「感じない方が安全かもしれない」
と。
感じないようにしているわけではない
ここで誤解されやすいのですが、
本人は意図的に無視しているわけではありません。
神経が自動で処理しているんです。
例えば足にケガをしているのに試合中は痛みを感じない選手がいます。
危険な場面 では、
痛みよりも生き残ることが優先される からです。
心も似ています。
不快を感じることより、
- 関係を維持すること
- 期待に応えること
- 怒られないこと
- 見捨てられないこと
そちらが優先されると、
不快の感覚が後ろに下がります。
その代わりに思考が増える
感覚が見えなくなると、
思考が代わりに働き始めます。
- 私が悪いのかな
- 考えすぎかな
- 気のせいかな
- 我慢すべきかな
- もっとがんばればいいのかな
本当は
「なんか嫌だ」
が最初だったかもしれない。
でも その感覚が見えなくなっている ので、
答え探し だけが始まります。
すると、
どんどん自分から遠ざかります。
優しい人ほど起きやすい
優しい人は、
- 相手の気持ちを感じます
- 空気を感じます
- 場の流れを感じます
その能力自体は素晴らしいものです。
でも、
相手ばかり見ていると、
自分の感覚を確認する時間が減ります。
結果として、
相手の不快には敏感 なのに、
自分の不快には鈍くなる。
そんな現象が起きます。
不快に気づくことは攻撃ではない
ここも大事なところです。
不快に気づくと、
「わがままになる」
「人を責める」
「否定的になる」
と思う人がいます。
でも実際は逆です。
不快に気づけない と、
限界まで我慢します。
そして限界が来たときに、
爆発したり、突然離れたりします。
だから、
小さな不快に気づく ことは、
人間関係を壊すためではなく、
人間関係を丁寧に扱うための力 なんです。
研究のまとめ
「そこに不快がある。」
まずはそれだけで十分です。
- 原因を探さなくていい
- 正しいか間違いかも決めなくていい
- 対処もしなくていい
ただ、
「あ、今ちょっと引っかかったな」
と気づく。
それは相手を責めるための情報ではありません。
自分の文脈を知るための情報 です。
その小さな違和感は、
これまで見落としてきた 自分自身からのメッセージ かもしれません。


