思い出すのもしんどいこと。
そこに触れると、感情が大きく揺れてしまうこと。
できれば近づきたくない記憶や場所。
そういうものはありませんか。
私には、たくさんありました。
生きてきた中で、本当にいろいろな経験をしました。
思い出すだけで体が固まるようなこともありましたし、そこに触れると、急に心が過去の自分に戻ってしまうような感覚になることもありました。
それでも今、私はこうしておだやかに暮らせています。
その理由のひとつは、たぶん、そうした思い出たちとの付き合い方を少しずつ覚えてきたからだと思います。
今回は、私がしてきたトラウマ体験との付き合い方について、心の仕組み研究所の研究記録として書いてみたいと思います。
誰にでも、思い出すとしんどいことはある
誰にでも、「あれはちょっとしんどかったな」と感じる思い出はあると思います。
- 本当は嫌だったのに我慢したこと
- 怖かったのに平気なふりをしたこと
- 分かってほしかったのに、分かってもらえなかったこと
- 助けてほしかったのに、言えなかったこと
- 自分の気持ちより、相手や場の空気を優先したこと
ひとつひとつは、外から見ると「 よくあること 」に見えるかもしれません。
でも、そのときの自分にとって 逃げ場がなかったり、安心して戻れる場所がなかったり、同じような緊張が何度も続いたりする と、その経験が心や体に残る ことがあります。
私にも、不快感を伴う思い出はたくさんありました。
どうしても抵抗のある行動ができたり、無理に平気なふりをしようとすると感情が大きく揺れてしまったり。
そういう状態で、ずいぶんしんどい思いをしてきました。
でも、ずっと落ち込んでいたわけではない
ただ、そういうトラウマの影響があったからといって、私はずっと落ち込んでいたわけではありません。
ここは、自分でも少し不思議なところです。
私はたぶん、いい意味で あきらめるのが早かった のだと思います。
心が揺れたときに、そこへこだわり続けるよりも、
- じゃあ、散歩しよう
- ちょっとおやつを食べよう
- 音楽でも聴こう
- 今日はもう考えるのをやめよう
という切り替えが、わりと早かったのです。
もちろん、それで全部が解決したわけではありません。
揺れるものは揺れます。
しんどいものはしんどいです。
でも、揺れた心にずっと張りつくのではなく、少し離れる。
そこから別の行動に移る。
私は、知らないうちにそういうことをしていたのだと思います。
昔は、忘れようとして余計にしんどくなった
ただ、昔からうまく扱えていたわけではありません。
トラウマの扱い方を知らなかったころは、
「 早く忘れなきゃ 」
「 もう大丈夫にならなきゃ 」
「 こんなことで揺れていたらダメだ 」
「 ちゃんと乗り越えなきゃ 」
と、かなりがんばっていました。
でも今思うと、その努力が、逆にしんどさを長引かせていたのだと思います。
- 忘れようとするほど、思い出す
- 平気になろうとするほど、平気ではない自分が気になる
- 早くよくなろうとするほど、今の揺れが許せなくなる
心が揺れているときに、さらに自分を追い立てていた のです。
これはかなり苦しかったです。
日常の中で、トラウマとどう折り合いをつけるか
今、心の仕組み研究所を作った理由のひとつに、こういう思いがあります。
心が本当の意味でほぐれる方法はないのか。
もちろん、医療や専門的な支援が必要なときはあります。
そこは大事な線引きです。
でも一方で、私のように、日常生活の中で「この揺れとどう付き合えばいいんだろう」と悩んでいる人もたくさんいると思います。
- 病院に行くほどなのか分からない
- でも、しんどい
- 自分の反応が分からない
- 忘れようとしても忘れられない
- 近づくと揺れる
- でも、ずっと避け続けるのもしんどい
そういう人にとって、
「 こうすると落ち着きやすい 」
「 これは逆にしんどさを強めやすい 」
「 こういうときは下がっていい 」
それくらいの、日常で使えるシンプルなノウハウ が必要だと思いました。
それが、私がずっと研究してきたことです。
いちばん大事だったのは「 距離 」だった
研究してきた中で、私にとって本当に大事だったのは、距離でした。
しんどい記憶や反応に対して、距離を取ること。
これは、ただ避けるという意味ではありません。
- 今の自分にとって、どのくらい近づくと揺れすぎるのか
- どのくらい離れると落ち着けるのか
- 今日は触れても大丈夫なのか
- 今日は見ないほうがいいのか
その距離を、自分で調整する ということです。
昔の私は、距離が近すぎました。
「 なんとかしよう 」
「 早くよくなろう 」
「 ちゃんと向き合おう 」
「 自分でどうにかしなきゃ 」
そうやって、しんどいものに近づきすぎていました。
でも、
心が大きく揺れているときに「 なんとかしよう 」とするほど、しんどさが長引くことがある。
それを知ったとき、私はかなり驚きました。
カルチャーショックに近かったです。
- 考えなくていい
- 今は触らなくていい
- しんどいまま、別の行動をしていい
そう聞いたとき、正直、そんなに楽でいいのか と思いました。
でも、自己流でしんどかった時間が長かったので、私はそのやり方を素直に試してみることにしました。
しんどいまま、別の行動をしてよかった
私がしたのは、特別なことではありません。
- 新しい好みの音楽を聴くこと
- 語学を、本格的な勉強ではなく、楽しい範囲で気楽にやること
- ドライブに行って、好きな風景を見ること
- 散歩すること
- おやつを食べること
- 心地いいものに触れること
心が揺れている範囲だけは気をつけながら、それでも「楽しい」「心地いい」と感じられる行動をしました。
しんどさを消してから楽しむのではありません。
しんどいまま、別の行動をする。
ここが大きかったです。
- 心が揺れていても、音楽は聴ける
- 不安があっても、きれいな景色は見られる
- 過去の痛みがあっても、今のおやつはおいしい
- 全部が解決していなくても、今日の小さな心地よさは増やせる
私は、それをただ続けました。
よくなることを期待しすぎず、ただやる。
大きな変化を起こそうとせず、今できる心地よさを少し足す。
それだけでした。
気づいたら、触れられる範囲が広がっていた
そうしているうちに、あるときふと気づきました。
- 前より、しんどいと思う時間が減っている
- 前より、触れても大丈夫なことが増えている
- 前なら大きく揺れていたものに、少し距離を保っていられる
- 思い出しても、今の自分に戻ってこられる
その変化は、とても自然でした。
劇的に「治った」という感じではありません。
ある日突然、全部が平気になったわけでもありません。
あまりにも自然で、自分でも変化を感じ取りにくいくらい でした。
でも気づけば、
「 あれ、そういえば大丈夫だ 」
「 前より飲まれなくなっている 」
「 ここはもう、あまり気を遣わなくても大丈夫かもしれない 」
と思うことが増えていました。
心と体が、少しずつ「今はもう大丈夫かもしれない」と覚えていったのだと思います。
これは、トラウマの調律だった
今振り返ると、私がしてきたことは、トラウマの調律 だったのだと思います。
- 神経の揺れを感じながら、反応が強く出る場所とは少し距離を取る
- 無理に触らず、安定しやすい状態をつくる
- 今ある揺れは、いったん放っておく
- 別の安心や心地よさを足す
- 落ち着いたら、また少しだけ触れてみる
トラウマの音 を聞きながら、自分に合うバランス を探すような感覚です。
- 強く弾きすぎると、音が乱れる
- 近づきすぎると、心が揺れすぎる
- でも、離れすぎて何も感じないようにするのも、どこか不自然になる
だから、そのときの自分に合う距離 を探す。
それが、私にとっての調律でした。
どうにかしようとするほど、落ち着きにくいことがある
誰でも、心が大きく揺れると、どうにかしようと思うものです。
「 早く落ち着きたい。」
「 早く忘れたい。」
「 早く大丈夫になりたい。」
そう思うのは自然です。
でも、その気持ちが強くなりすぎると、かえって 落ち着くまでに時間がかかる ことがあります。
「 なんとかしなきゃ 」という力が、心をさらに緊張させるからです。
だから、心が揺れたときほど、
- 今すぐ解決しなくていい
- 今すぐ大丈夫にならなくていい
- しんどいまま、別の行動をしていい
そう知っておくことは、とても大事だと思います。
研究のまとめ
トラウマとの付き合い方には、コツがあります。
それは、無理に忘れることではありません。
いきなり向き合うことでもありません。
早く克服しようと、自分を追い立てることでもありません。
大事なのは、距離 です。
触れて揺れたら、少し下がる。
今日は無理だと思ったら、今日は見ない。
考えすぎているなら、仮置きする。
体が緊張しているなら、五感に戻る。
しんどいままでも、音楽を聴く。
景色を見る。
おやつを食べる。
散歩する。
今の生活の中に、小さな心地よさを足していく。
そうしているうちに、触れられる範囲は少しずつ広がっていくことがあります。
トラウマは、簡単なものではありません。
でも、扱い方を知ることで、必要以上に怖がらなくてよくなる ことがあります。
心が揺れるのは、弱いからではありません。
そこに、そう反応するだけの文脈がある。
そして、その文脈と少しずつ付き合っていく方法がある。
心の調律では、そんな日常の中で使えるトラウマとの付き合い方を、これからも研究していきたいと思います。
