最近、結婚生活を送っていた当時の写真を見返すことがあります。
家族で出かけた日。
ピクニックをした日。
手作りのお弁当を持って公園へ行った日。
中古マンションをリフォームをしていた頃の家。
娘と笑いながら勉強していた時間。
どれも楽しそうです。
実際、楽しかったのだと思います。
だから私は、過去を不幸だったとは思っていません。
でも最近になって、もうひとつの感覚が出てきました。
それが、
「 楽しかった。でも檻の中だった 」
という感覚です。
今回は、そういう自分のなかの「 気づき 」についての研究記録です。
あの頃の私は、工夫するのが好きだった
私は昔から工夫することが好きでした。
限られた条件の中で、
どうしたらもっと楽しくなるかな。
どうしたらもっと快適になるかな。
そんなことを考えるのが好きでした。
そういう考え方がもとになって、ピクニックライフも生まれました。
近所の公園へ行く。
お気に入りのパンを買う。
好きな器を持って。
全部をがんばらなくていい。
少しだけ景色を変えてみる。
そんな時間を大切にしていました。
当時の私は、そんな暮らしがとても気に入っていました。
不幸だったわけではない
ここは誤解されたくない部分です。
私はあの頃を否定したいわけではありません。
家族との思い出があります。
娘との楽しい時間があります。
たくさん笑った記憶もあります。
だから、
「 あの頃は全部間違いだった 」
とは思いません。
むしろ、あの時の私なりに精一杯工夫していました。
その工夫があったから乗り越えられたこともたくさんあります。
私は本当に楽しく暮らそうとしていました。
そして実際に楽しい時間もたくさんありました。
それでも見えていなかったもの
最近になって気づいたことがあります。
あのとき、私は楽しかった。
でも、自由ではなかった。
当時の私は、それに気づいていませんでした。
なぜなら、それが当たり前 だったからです。
- どこまでなら大丈夫か
- 何なら許されるか
- どうしたら相手が不安定にならないか
- どうしたら波風が立たないか
そんなことを無意識に考えながら生きていました。
それは特別な苦労だとは思わずに。
それが、かつての私の「 日常 」だったのです。
檻の中で工夫していた
今振り返ると、
私は「 檻の中 」にいられる範囲で、工夫して暮らしていたんだと思います。
もちろん本物の檻ではありません。
でも 見えない制限 はたくさんありました。
- お金のこと
- 相手の不安
- 相手の機嫌
- 家庭の空気
その条件の中で、
どうしたら楽しく暮らせるか。
どうしたら心地よく過ごせるか。
私はずっと考えていました。
そして実際、それを作ることは得意でした。
だから当時は、
自分が 制限の中にいることに気づきにくかった のです。
引っ越したことで見えたこと
離婚後、私は引っ越しをすることに決めました。
元の家に残る選択肢もありました。
生活だけを考えるなら、その方が安定していたかもしれません。
でも私の中には 別の感覚 がありました。
引っ越せ。
自分の人生を生きろ。
そんな声がしたんです。
人生の選択を迫られたとき、聞こえてくることがある心の中の声。
自信はなかった。
でも、自分の人生を無駄にはしたくなかった。
思い切って引っ越しましたが、当時はものすごく不安でした。
何度も何度も、泣きました。
それでも前に進みました。
日がたつにつれて、少しずつ景色が変わり始めたのです。
檻を出て初めて、そこにあった檻が見える
人は檻の中にいるとき、その檻が見えないことがあります。
なぜなら、そこにいるのが当たり前だから。
私もそうでした。
あの頃は苦しいというより、
快適に過ごすための工夫をしていました。
楽しもうとしていました。
でも今の場所から振り返ると、
たくさんの制限の中で生きていた ことが見えます。
不思議なことに、
それは、過去を後悔するような気持ちではありません。
ただ、
「ああ、そうだったんだな」
という深い気づきです。
文脈で見ると見え方が変わる
ワープ脳で見ると、
離婚は失敗に見えるかもしれません。
専業主婦だった時間も、遠回りに見えるかもしれません。
でも、自分のなかの「 文脈 」で見ると、見え方は違います。
- 私はその中で工夫する力を育てた
- 人を観察する力を育てた
- 教育を研究した
- 安心できる環境づくりを研究した
そして、自由の大切さ を知りました。
だから今は、
過去の経験を、良かったか悪かったかでは見ていません。
その流れの中で何を学んだか。
そこを見るようになりました。
おわりに
昔の私には、確かに楽しく過ごした時間はあったと思います。
でも、今の私は、あの頃にはなかった 本当の自由 があります。
どちらかが正しくて、どちらかが間違っているわけではありません。
ただ、見える景色は大きく変わりました。
だから最近は、
「 あのころは楽しかった。でも檻の中だった 」
という言葉がしっくりきます。
過去を否定するためではありません。
今の景色から振り返った時に見えてきた、ひとつの 事実 です。
そして私は、檻の中で工夫していた自分も嫌いではありません。
その時間があったからこそ、今見えている景色があるのだと思うからです。
